心地よくゆるゆると

私のお気に入りとインスタの軌跡

父の日に親子になってからの38年間を振り返る

今週のお題「おとうさん」

 

今日は「父の日」。

 

ブログでは何度となく書いてきた、
血縁関係にない父(義父)のこと。
母が再婚してから、もう38年になる。

 

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 ↑ flower plusさんによる写真ACからの写真

 

今でこそ、珍しくない再婚同士の両親
私は母の連れ子として、小学校1年生に
なる年に、家族として迎え入れてもらった。

 

それからは以前のブログ
投稿した通り、数か月新しい生活を
我慢したあとは、父・祖母へ
反発ばかりしていた。

 

戸籍上は私は「養女」になっていて、
いつかの受験の際、初めて戸籍謄本を
見たときに違和感を感じた。

 

養子縁組をしてもらったことで、
今となっては、法律上…実子と
何も変わらないと理解できるけど
当時は何不自由なく暮らしている子に
対して、劣等感を感じていた。

 

私が20代前半の頃、父は心筋梗塞を患い
総合病院で緊急手術をした。
ところが手術中、バルーンで血管を
拡張する処置がうまくいかない…。

ステントの挿入も手こずっているとかで
大学病院へ緊急搬送された。

無事手術は成功し、今もなお
生活に支障なく暮らせている。

当時、地元の総合病院は
最善を尽くしてくれたであろうが、
それ以来、家族は誰も受診していない。

 

以前の別のブログで、
20代の頃からの借金が残っていて
ずっと両親に言えず、先に弁護士に
相談したのち、父に打ち明けたら
親としてのプライドが傷ついて、
ショックを受けたという記事で

借金そのものより、私が親より先に
他人に大事な話を切り出したことに、
信頼関係がないことを嘆いている
ように感じ取れた。


私が債務整理を始めるにあたって
家賃負担がない方が支払いが
楽なのは明白だった。


だけど、当時は実家に出戻って、
同居させてほしいとは、どうしても
頭を下げる気になれなかった。


過度の貧血で就業困難に
なったときにも、恥をしのんで
区役所に生活保護の相談に行った程。


ただ無情にも、強制的に軌道修正を
仕向けられ…実家に戻って
もう6年になる。

 

それが正解だった。
神様が仕向けたのか、潜在意識がなのか
親との関係を考え直せと
いい歳して、実家に居候する機会を
強制的に与えてもらった。

お互いに年齢を重ね、
父も心身ともに丸くなった。

 

父は心臓の病気をして以降、
定期的に診察をしているから
どこかを悪くしても、おかげで
初期の状態で根治できている。


胃がんの診断をされたときもそう。
初期状態ですべて切除できたから、
癌細胞は黒ではなく、赤かったと聞いた。

 

70歳を過ぎてからの癌。
年齢的に早期発見できて、
何よりだった。

 

「馬鹿野郎!
 親より先に逝く奴がいるか。」

「おまえ(弟)がいちばん
 親不孝じゃないか…。」

 

3年前に、長男の弟が事故死して以来、
私たち親子の絆は、間違いなく
強くなった気がする。

 

親子で色々あったけど、
父へは感謝以外ない。

 

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 ↑ まんだむさんによる写真ACからの写真



戸籍上、実子と変わらない配慮で
家族として迎えてくれてありがとう。


たくさん反発してきて、迷惑も心配も
掛けてきたけど…長生きしてくれて
本当にありがとう。

 

孫の顔は見せてあげられないし、
花嫁姿も(今のところ)縁がないけど
私はあなたの娘で幸せだから。

面と向かっては言えないけど、
これからも感謝と敬意を伝えていきたい。

 

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